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現役最高齢のギター流し、荒木町の新太郎さんが亡くなりました。


以前、新宿ゴールデン街にはマレンコフさんという有名な伴奏専門のギター流しがおられました。私が流しを始めて必死になっていた2009年、当時、現役最高齢の流しとして亡くなられました。亡くなった後に完成したマレンコフさんのドキュメンタリー映画を観ました。ゴールデン街は友人の店が幾つかあり、私も出入りをしていたので、後々こういう方と一度でも会えたらよかったなあ、と思ったものでした。 四谷三丁目には新太郎さんがいる! やがて私が流しをしていると、そのうちに方々のお客さんから、「新太郎さんを知ってるか?」「荒木町には着流しの新太郎さんという流しがいてねえ」など聞くようになりました。しかも現役バリバリとのこと。お弟子さんもおられるとのことで、私は、これは会えるんじゃないか、ぜひ会わねばならん、と思うようになりました。 お弟子のチエさんがFB投稿をしていたり、またテレビ出演の様子を見るにつけ、御二人が親しまれいる様子、街の一部になっているのを感じ、同じ流し稼業としては、それだけで心強くなりました。もちろん、いい時ばかりじゃない、というような淡々とした新太郎さんの語りもありました。だけど続いている、その御年まで!という点が私にとって重要でした。 幸いSNSが発達した世の中、私はお弟子のチエさんと連絡がとれました。新太郎師匠のお話が聞きたい旨を告げると、どうぞ荒木町にいらっしゃい、と師匠からの伝言をもらいました。そのまますぐ行けばよかったのですが、元気に流しをされているご様子から、いずれ流し組合の仲間も連れて皆でいこう、と思っていました。 やがて時は過ぎ、不意に面会の機会が訪れました。以前よりお世話になってる御仁(Oさん)が、新太郎さんと親しく、ピンポイントで師匠と会えるタイミングを知らせてくれました。詳しい事情は知らなかったのですが、「急いで!」というニュアンス。新太郎さんが一時退院をされ、流しに出かける前の時間に、お目にかかることができました。土砂降りの雨の日でした。

お会いして、心にいくつもの智慧の種をもらいました。そして当時の流し達がいる日本の風景にロマンを感じました。それは私の妄想、懐古趣味かも知れません。たぶん新太郎さんの話のうわずみから勝手に絵を描いているんです。でも新太郎師匠もしみじみ「良かった時代」という感じで語るんですね。色々と過酷な状況の中、でも「良かった」という師匠。 どのくらいの覚悟か、プロ意識か、当時いかなる街の状況か、流しの組織は、街のルールは?私が勝手に書くことができないような事情もたくさん聞かせてくれました。長くギター流しを継続してきた師匠の言葉は、もう存在自体が信用そのもので、信じるという言葉も必要ないほど強靭でした。やはりずっと続けられる人ばかりではないんです。 流しは芸の手入れを怠らず努力していかなければならない。そうして「どこでも生きていけるようでなけりゃ、流しじゃないよ」と新太郎さんは仰った。「病院のベッドでも練習しているんだよ、指が動かなくなっちゃうから」と語ってくれました。他の入院客から頼まれて演奏しギャラを貰ってしまったそうです。 私には流しの師匠はいませんでした。ギター流しの大先輩とどう会ったらよいのか緊張もありましたが、やはりワクワクしました。没後弟子とならず、お目にかかれたことが財産であります。ありがとうございました。これからお弟子のチエさんが継いでいかれるそうです。

記念撮影もしなかったのですが、Oさんの撮ってくれた写真を拝借し載せさせていただきます。荒木町Mi Refugioにて。

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