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流しのお誘い

芸を磨きながら、もっともっと人前で活動してみませんか?

こんにちは。私はこの平成流し組合を作りました、代表の「パリなかやま」と申します。流しの仕事を2008年から続けています。

 

 流しは、各人が日々シンプルに取り組める仕事・稼業です。自由度が高いので個々人の別の活動や仕事と兼業もできます。とくに生演奏が好きな方、得意な方には流しをお勧めします。

 かつての昭和の時代のように、再び世間で流しが当たり前の存在になれば、流しの演奏スタイルは音楽家にとって重要な生活基盤になるでしょう。意欲的な音楽家には日々、人々のために演奏をしていただきたく、また、向上を目指す方にも修行の場として、平成流し組合を活用していただきたいです。

 やってみるとお判りになると思いますが、流しの仕事の手軽さ、楽しさ、は目から鱗です。月日を重ねながら、私は、より効率的な方法、留意点、タブーなど身をもって学びました。流しは技術職であり接客業です。もちろん誰でも時間をかけ、誠意や根気をつぎ込めば、仕事の要領が得られると思います。しかしながら、それは音楽家が通常あまり好きではない、音楽以外の労力の方が断然大きいです。

 

 令和に入り、流しに興味をもつ音楽家がどんどん増えております。平成流し組合では、音楽家にとって、金銭的負担なく、参入しやすく、また継続しやすい環境を作っています。
 

平成流し組合代表|全日本流し協会理事
パリなかやま

​「報酬を受け取りながら、多くのことを学ぶ」平成流し創始者、小林治郎氏(作曲家)

2008年の春頃だったでしょうか、ある会社経営者の知人から、亀戸横町での「流し」の企画の依頼を受けた僕は、すぐさまコーヒーカラーの仲山卯月氏(=パリなかやま)へ協力を持ち掛けました。彼の音楽に対する誠意と企画力によって「平成流し」の礎を築くことが出来ました。

 

当時は僕の拙いギター伴奏で「男性ボーカルDay」と「女性ボーカルDay」を交互に稼動させていました。 そもそも僕は作曲家であるが故、このような流しパフォーマンスには向いておらず、1年少々で早々と退散しましたが、60年代から80年代にかけての、ニューミュージック、フォーク、演歌、アイドルポップスと一通り演奏したことは、大変勉強になりました。いや、勉強などという言葉では計り知れない発見というか感動というか、先達の偉業に改めて敬意を持つことになりました。

 

流し稼動以前の僕の作曲は、ありとあらゆる作曲技術や和声理論やジャズからブラジル音楽に至るまでの音楽的エッセンスを、16小節や32小節の1コーラス分の塊の中に凝縮したかのような、まるで限界に挑むが如く創り上げた作品が主でした。それはそれで確かに創造的であり個性的でもあるのですが、やはり難解で万人受けするかと言えば厳しい側面もあるのも事実です。

それに対して近年の僕の作品は、センスや知識や理論の贅肉を削ぎ落し、わかり易いながらも1フレーズ聴いただけで僕の曲だとわかる作曲も出来るようになりつつあります。今思うと、これには流し経験も大きな影響を及ぼしているとしか言い様がありません。報酬を受け取りながら、多くのことを学ぶことが出来たなんて、とても幸せなことだと思います。 

一方、仲山君の方は流しに向いていたのか、自らが長年に渡って稼動するだけでなく、次々にエリアを拡大し新規参入者に道を与えていて、そのバイタリティには本当に頭が下がります。 

現在の流しメンバーには、僕の音楽を聴いてくれていた人達も結構いて、その中には僕の作品を90年代のフェイバリットソングと挙げてくれる人までいます。そんな人達の生活を僕も(間接的にですが)支えることが出来ていると思うと、何とも嬉しい気持ちになります。

流しは膨大なレパートリーの全てをある程度以上の水準で表現することを要求され、また対人商売であるが故のストレスなりトラブルなりに対応出来る精神力も必要なため、決して簡単な仕事ではありませんが、修業には素晴らしい場であります。なので少しでも興味のある方おりましたら、老若男女問わすパリなかやま氏へ連絡してみることをおすすめします。

 

現在の音楽シーンでは、全てがそこそこ、つまり適度に歌えて、適度にルックス良くて、適度に作詞作曲出来て、適度にビジネス能力を持ってはいるけれど、突出した才能に欠けるミュージシャンが多く見受けられます。 そんな状況を突き破るような(そのために必要なのは実は基礎力だったりする)、新時代のボーカリストなりアーティストなりが、若い流しメンバーから登場してくれる日を待ち望んでいます。

そんな訳で、「このコ、お前の曲に合ってそうなんだけど!」って感じなボーカリストを発見した際には、是非僕の所までご一報お願いします。って最後は結局テメエの宣伝かよっ!的な締めくくり方になってしまいましたが、これをもって「流し推奨」のご挨拶に変えていただきます。 読んでくれてありがとうございました。

2016.7.20 小林 治郎 (一応創始者ということで!?)

「流し、やってみたい!」と思われた方へ

流し参入につきまして、興味をもっていただけたことは、とても希少で嬉しいことでございます。

実際に流しを見たことがおありでしょうか?


もし、まだでしたら、ご説明の前にまず一度、流しの現場をどちらかで見ていただきたく思います。リアルな流しの様子に、ご自身の中でピンとくるか?それが非常に大切です。

下記の場所に20時~23時くらいで流しが出入りしております。見学に都合の良い時をお知らせいただければ、担当の流しに伝えます。
https://www.nagashi-group.com/place-to-meet-nagashi


見学の上、ご自身で流しをやってみるイメージがわきましたら、一度ゆっくりお話しできればと思います。特に試験などはありません。必要な準備はお伝えします。準備完了次第、トライしていただくことができます。流しそれぞれの個人事業になっております。特に費用はかかりません。

平成流し組合として、やっていることは下記です。
・流し演奏が可能な店舗の情報シェア
・流しが被らないような流しシフト作り
・流し成功のためのアドバイス
・出張演奏依頼の請負と人選

もしご自身の演奏力やレパートリーに御不安な点がありましたら、動画、音源、曲目リストなどをお送りください。より良いスタートができますようアドバイスさせていただきます。

代表 パリなかやま 
mail heisei-nagashi@hotmail.com

平成流し組合アンケート 2023


参入希望の方は、ご回答可能な範囲で、
下記の事前アンケートをお願いします!


【流し参入アンケート】

▓お名前

▓生年月日

▓電話番号

▓志望の動機

▓流し遭遇の経験(なし・あり・場所等)

▓音楽歴 (楽器歴・活動歴)

▓希望の流しスタイル(弾き語り・歌のみ・楽器のみ)

▓職歴(アルバイト含め経験した職種・仕事)

▓得意ジャンル・曲目・アーティスト

▓ご希望流しエリア
(上野・新橋・有楽町・渋谷・新宿・吉祥寺・溝の口・鴨居)

▓居住最寄り駅

▓月のご希望日数・可能時間帯・曜日

▓流しでの希望収入

▓音源、動画など演奏資料(任意)

▓ミィーティングの希望候補日

▓その他、ご質問なんでも

~​令和の流し色々~

​「コロナ禍で模索する中」 光星壮馬

関西在住のシンガーソングライター光星壮馬(みつぼしそうま)です。2011年から、うたのお兄さんとしてイベント出演などの仕事がメインになりました。
 

コロナ禍で軒並み仕事がなくなり模索する中、東京で流しをやっている後輩と再会しました。レパートリーもさほどなく、自信はありませんでしたが、夜行バスで東京に通いホテル住まいで、月に何度か流しを経験させていただきました。

そのうち、横浜に家を借り現在は月に10日~2週間ほど流しをさせてもらっています。当初は全然稼げませんでしたが
(お客さんに話かけることもできないくらいでした)次第にコツを掴み流しを通して様々な学びや出会いもいただいています。

自身のオリジナル曲を聞いてくださるお客様も多く、良い反応を頂いた時はこの上ない喜びです。関西と関東、二重生活でも受け入れてくださる平成流し組合の懐の深さ。横浜の家の家賃もなんとか支払うことができています。20代の頃から関東に憧れていましたが40を超えてその憧れを叶えてもらい夢を広げていただいています。

これからも流しを通して様々な気づきや、人との出会い
人の心に寄り添えるような歌を歌っていけたら幸いです。
感謝。

2022.11.03 光星壮馬

​「はじめての流し」 ジェシーこだま

最近、東京出張の夜に流しをした。ギターを持って酒場をめぐる、あれである。流しを見たことがない人もいるかもしれない。というより見たことがない人の方が多いだろう。聞くところによれば、昭和40年代までは全国各地の酒場に、たくさんの流したちが生息していたらしい。しかし町々にいた流したちは、カラオケの普及とともに消えゆき、平成に入る頃にはほとんど絶滅してしまったのだとか。

私がやった流しというのは、現代版のそれである。現代版といっても、やってることはほとんど変わらないはずだ。ギターを抱えて酒場を訪ね、ギターの弦をつま弾きながら客の間を歩く。声がかかれば、注文に応じて歌を歌う。このとき歌詞とコードをギターに結え付けたスマホで見ているのが、これ、令和に生きる流しの証である。

歌を歌うとチップがいただける。硬貨のこともあるが、札であることが多かった。PayPay対応というのも、これまた令和の証。いただいた紙幣は、細かく畳んでギターヘッドの弦に挟み込む。これは昭和風か。令和と昭和を行きつ戻りつ、ギターを抱え、酒場から酒場へゆらゆら歩く。

 

この手記は、そんな流しビギナーによる、流し体験記である。

流しの出勤準備は簡単である。仕事先から宿泊先のホテルに戻って、カバンをおいてギターケースに替える。流しらしい服装を、と協会で言われたので、ネクタイをリボン結びにしたスカーフに替えた。ベルトは外してサスペンダーに。なんのことはないパリなかやま師(*)のまるパクリである。

 

流し初日は有楽町。パリさんが小一時間付き添ってくださった。一つ一つのお店の人に挨拶してね、お店のオペレーションの邪魔にならないようにしてね、最初のお客は一曲サービスですとか言ってリクエストをとると、次が入りやすくなるからね、と、まさに手取り足取りのOJTであった。最初のお客さんはパリさんが声をかけてくださった。

 

二人で新年会をされているご夫婦。有楽町産直横丁には初めて来たそうだ。大学生の息子さんの就職が決まったとうれしそうに話して頂き、「乾杯」のリクエスト。流しデビューが「乾杯」なんて、なんか縁起いいじゃないですか。

 

偶然だけど、ギターはTakamine。別にアニキにあこがれてギター始めたわけじゃないよ。大学生の時に、何も知らずにギター屋さんで「エレアコください」といったらこれを渡されたのだった。多分決して弾きやすい機種ではないんだけど、しかし気づけば20年以上一緒にいる。こないだ弦高も下げてもらったし、もうしばらくこれでいこうと思っている。

 

二組目、三組目はなんとか自力でゲット。パリさんは、別の現場に行くねといって、去っていった。こうしてジェシーこだまの流し修行が始まったのだった。

※パリなかやま:現代流し復興の提唱者で、平成流し組合のリーダー

 

一つ一つの流れを説明するとこうなる。まずはお客さんの獲得。向こうから声をかけてくれたらラッキー。こちらから「一曲いかがですか?」と声をかけることも多い。「ケッコーです」が続くと心が折れそうになる。折れそうになったところで、なぜか次のテーブルからリクエストがきてホッとする。

 

中高年グループだからリクエストしてくれるわけでもない。若い女性だから嫌がられるわけでもない。正直まだこのあたりはよくわからない。今度またパリさんや、流し仲間とこの問題を考察してみようと思う。

 

この営業フェーズがうまくこなせるのか、始める前は自分でも不安だった。お恥ずかしながら職歴でも営業なんて未経験の世間知らず。までもやればなんとかなるもんだ。サービス業未経験、発達偏り気味の自分ができたのだから、多分皆さん、なんとかやれると思います。流し志望の皆さんはどうぞ自信を持って頂きたい。

 

さてリクエストが入ったら歌を歌う。これが結構難しい。ワイワイガヤガヤの酒場で歌を歌うのである。狭い自宅マンションで、寝静まった家族を気にしながら練習していた時とは求められる声量が違う。初日は二組のお客さんに、声が小さいとダメ出しされた。

 

アップテンポな曲は元気よく声を張る。しっとりした曲もしっとりと声を張る。初日に同じ現場に入っていたしおみーさんはマイクとポータブルアンプを使っていた。これも一つの答えなのだろう。その一方でパリ師はかたくなにアンプラグドを貫いている。しおみーさんの機材の名前をメモしながら、自分はどうしていこうかと考えた。

 

ギターも自分には鬼門である。圧倒的に腕前に自信がない。軽音でもキーボードをやっていた軟弱者の自分である。30歳を過ぎて通ったギター教室も2ヶ月でやめてしまった(バークリー卒の先生、お元気でしょうか)。あれから10年以上が経つが、腕前に大きな変化はない。

 

「奏」のリクエストが入ると反射的に思った、転調前に拍手して!(終わるから!)。「愛は勝つ」が入ると思う、Bメロ転調!さすがにBメロは、避けられん・・・。

 

歌がおわるとチップをいただく。札は折りたたんでギターヘッドに挟むことはすでに述べた。ここでさっさと帰ると感じ悪いので、いつしかフォロートークを入れるようになった。新年会ですか?会社の飲み会ですか?など。親子ですか?とご夫婦ですか?はいずれも間違って痛い目にあったので、2度と使わない(もしかしたらこれ営業職の常識だったかもしれない。すいません、世間知らずなもので)。

 

休憩は自由である。なかなかリクエストするお客さんがつかないとき、そもそもお客さんが入れ替わらないとき、何かと理由をつけて、ギターを置いて酒場を去り、通り向こうのベンチに腰掛けた。そうして行きつ戻りつ、街を彷徨いながら自分はだいたい22時半から23時くらいまで歌を歌った、そんな3日間だった。

 

ビギナー流しの自分でも、流し冥利につきると思う瞬間がたくさんあった。

酒場が一体となって歌ってくれた時。

あれは溝の口たまいのどこかのお店(失礼、まだ見分けがついてません)。「どんなときも」をオーダーくださったのは50歳前後の仲良さげな男性二人連れ。上司と部下だと言っていたけどほんとかしらん。サビに入ると二人とも踊り始めた。そのうち隣の席の若い男の子たちも割って入ってくる。「どんなときも!どんなときも!」。振り返るとカウンターのカップルも手拍子しながら歌ってくれている。盛り上げすぎてはいけないというのが組合の決まりだけど、このくらいは許されるかなと、キッチンをチラ見した。

自分が好きな曲のリクエストが入った時。

これも溝の口たまい(のどこかの店)。この街は若い人もちょっと上の人も昭和歌謡を愛しているようだ。山形出身の若い女の子に、お母さんが好きだったという「ラブ・イズ・オーバー」と「真夏の果実」のリクエストを頂いた後、となりのこれまた若い、新宿から最近引っ越してきたという女子に「時には昔の話を」のリクエストを頂いた。

この曲は僕の大好きな曲である。何を隠そう、この曲を初めて聴いたのは恵比寿横丁である。昭和好きの友人がパリさんにリクエストしたこの加藤登紀子さんの名曲で、僕は流しのとりこになった。新宿出身の彼女、しみじみとこの歌を聴いて「お酒飲みながらこの曲を聞けるって幸せー」と恵比寿横丁での私のようなことを曰う。

思わず「この歌、昭和40年代の学生運動の歌なんだけど、学生運動って知ってる?」と、知るはずもない、知りたいはずもない知識を披露して、多分少しウザがられたと思う・・・。

たくさんご祝儀をいただいた時。

これも当然嬉しい。日比谷産直飲食街の2階で新年会をやっていた会社のお席で、たくさんのリクエストを頂いた。不思議なことにこの会社、全員歌が上手だった。皆が声をあわせて歌ってくださるのだが、とにかくユニゾンがめちゃくちゃ綺麗なのである。

女性メンバーはオクターブ上で、男性メンバーは下で歌う。音程を外す人がいない、と言えばいいのだろうか。酒場の喧騒の中で聞くユニゾンは綺麗だなと思いながら、僕はギターに徹した。「なごり雪」、「あの素晴らしい愛をもう一度」、「乾杯」ときて、最後は「サライ」の大合唱。社長さんから少し多めにご祝儀を頂き、お席を後にしたのだった。

困り事をあげる。

「昼間は何してるの?なんで流しやっているの?」という質問には困った。最初は「普段はサラリーマンやってます。流しを始めたのは楽しそうだったから」などと答えていたのだが、なんかつまらなそうなのである。どうも何かがちがうようだ。こちらも、教室で正解を言えなかった小学生みたいな気持ちになってしまう。これはきっと模範解答があるのではないか、と考えた。

他人の歌を聞いて、チップを出すのである。やっぱりストーリーが必要なのではないか。レコードデビューを目指して活動しています、夢を叶えるために流しやってます、というのはなんだか夢がある。

 

チップを頂いた後に「頑張ってください」と励まされることもあったけれど、こういう背景ストーリーが想定されていた可能性もある。しかしこのストーリでゴリ押ししていくには、自分はすこしおじさんで、しかもこの腕前。ちょっと気恥ずかしい。会社をクビになって、お腹を空かせた子どもが家で待ってるんです、というストーリーはどうだろう。自分的にはこちらの方が打ち出しやすいストーリーではあるが、嘘なので、死んだ後に閻魔様に舌を抜かれそうだ。

 

サラリーマンが、楽しそうだったから始めた流し。やっぱお金を出す気にはならないかもしれないなあ、そう思いながら、「えっと昼間は音楽の仕事とかやってます」、なんて嘘が口をついて出てしまった。「え?〇〇とか?」と横文字が出てくる。なんだろう、その仕事。いえ、あの、ほらピアノを売る会社の事務とか、と嘘の上塗りをしながら、それ音楽関係の仕事じゃないだろと自分で自分につっこみを入れた。

以上が僕の流し体験記である。パリなかやま師に寄稿をご提案いただいたので書いた次第ではあるが、誰が読むのだろうか。誰得の体験記?流し参入を検討中の人とか読んでくれるのだろうか?真剣に流し参入を検討している人には、パリさんの「流しの仕事術」を読むことをお勧めしたい。

 

最後に、この流し体験の場となった、有楽町産直横丁、日比谷産直飲食街、日本食市、韓国食市、そして溝の口たまいグループの皆様に感謝して、筆を置くことにする。ありがとうございました。


2024.01.12 ジェシーこだま

「根暗でも卑屈でも音痴でも」 岡田えくお

歌をうたいはじめたのは30歳からで、しかも酷い音痴で10年以上経った今でも素人に毛が生えたレベルの者でございます。それでも練習の為に覚えたいくつかのカバー曲が活かせればと、飛び込んだのが流しの世界でした。

 

その流しも始めてすぐのコロナ禍でブランクもあり、まだまだ経験の浅い状態ですので、何かをここに書く事すらおこがましいと思っております。

このように引っ込み思案で根暗で卑屈な私ですから、自らお客様に営業をかけてリクエストを取っていく流しというスタイルには向いていないと正直思っています。

 

しかし初日に見学させて頂いたパリ師匠の立ち回りはとてもしなやかで、押し付けがましい要素は一切無く、まるで泥の中を泳ぐ一匹の美しい熱帯魚のように見えました。首元に結ばれたアスコットタイは綺麗な尾鰭のようで、すっと人の心に入っていきその場を包み込んでいました。

 

こんな風に、こんな風にならやってみたい、この要素が欲しい、この要素が、流しでなくても、音楽でなくても、自分の人生には必要だと感じ、その思いのみで組合に入らせて頂きました。最初に見たのがパリ師匠でなければ私は流しになっておりません。

現場は毎回試行錯誤と失敗と自己嫌悪の連続ですが、誰一人その無様な姿を咎める事がなかったのが大きな救いでした。うまくいった時だけ楽しんでもらえる優しい世界でとても多くの事を学んでいます。
 

とくに音楽的な生育環境が地下のライブハウス界隈であった私には、一般社会での音楽の消費のされ方には衝撃を受けました。同時に音楽はエンターテイメントであるという当たり前の宿命にようやく気がつけました。更にピンポイントではなく全体的な雰囲気としての営業感、ある程度場所に甘えるという事、やはり最終的には歌と芸の精度に帰依するという事。

 

流しで得られる感覚はお金より貴重なものばかりで、そういったものを指針として自身のシンガーソングライターやバンド活動のステージに立つと大きな拍手や反響を頂けるようになりました。この勉強になったものを流しとしてお客様やお店にお返しできるようになりたいと今日も試行錯誤している次第です。


そこに居るだけで場が華やかになるような、歌声が聞こえるだけで楽しくなるような、パリ師匠のように酒場を歌い泳ぐ熱帯魚になって人の心にすっと入っていきたい。それが収入にもなっている事は根暗で卑屈で音痴な私にとって、これ以上の喜びはありません。
 

2022.11.04 岡田えくお

 

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